Carla Bley and Paul Haines/Escalator Over The Hill

 

私がカーラブレイを最初に聴いたのは1975年に ”Escalator Over The Hill” (Carla Bley and Paul Haines、1971年作) のアルバムを入手してからでした。一方、1980年代から映像ソースも色々発売され、新しいアルバムが出るたびに新たな発見がありました。ピアニストとしてのカーラブレーは今一ですが、コンポーザーとしてのその類稀なる才能には脱帽です。又映像メディアでは、例えばスティーブスワローなどはカーラブレーの信奉者だという事が手に取るように感じられます。
一般にカーラブレーというとフリー系というイメージがありますが、バップ以後のコンポーザーの中で優れた音楽的才能を持つミュージシャンであると言えます。

 以下はWikipediaからの抜粋ですが「本来の女流作曲家カーラ・ボルグ(ブレイ)は、教会音楽家の父親の手ほどきで音楽の基礎を学び、その後はアカデミズムとは無縁で、ほとんど独学で通した。17歳の頃ジャズ音楽に開眼し、当時ジャズが活気づいていた街、ニューヨークへの移住を決意する。が、このころのカーラはミュージシャンとして生計を立てることができず、ウェイトレスなどの仕事をすることで日々食いつないでいた。

売れっ子どころか日々の暮らしにも事欠いていたカーラに転機が訪れるのは、1957年のポール・ブレイとの結婚以後のことである。最初こそうだつが上がらなかったものの、個性的な楽曲を作り出すようになったカーラは、その音楽を広く認められ、アート・ファーマー(ブルースをそっと歌って)、ゲイリー・バートン(葬送)、チャーリー・ヘイデン(リベレーション・ミュージック・オーケストラ)ら大物ミュージシャンに楽曲を提供し、一躍ジャズ界を代表するトップ・コンポーザーの地位を手に入れた。

1966年には二人目の夫になるトランペット奏者マイケル・マントラー(マイク・マントラーも私が好きなミュージシャンの一人です)と伴に、「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション」を設立、商業主義からのミュージシャンの保護、自由化に多大な貢献を為した。また1971年に詩人ポール・ハインズとの共作にして2枚組の大作ジャズ・オペラ「エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル」を完成させた。この作品は実験作的色合いが濃厚で、当時のジャズ界に物議をかもした。

それから30年の時を経ながらも、カーラの創作意欲は衰えることを知らず、チャーリー・ヘイデンとのリベレーション・ミュージック・オーケストラの続編(バラッド・オブ・ザ・フォールン)、スティーブ・スワローとのデュオ・アルバム、オーケストラ・アルバム”The Very Big Carla Bley Band”などの作品をコンスタントに発表し続けている。

・最初カーラブレーを映像で見た時は”鬼瓦のような才女(汗)”だと思いましたが、見てくれと才能は全く別物、秋吉敏子と共に現在の最高峰コンポーザとして推薦できます。

(筆:Jazzインハート)







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